『マー姉ちゃん』牛尾一平役は益田喜頓!実家は何万坪ある別荘を所有していた!?

NHK朝ドラ「マー姉ちゃん」で、牛尾一平役を演じるのは、益田喜頓さんです。

こちらでは、マー姉ちゃんのキャスト・益田喜頓さんに関する情報をまとめています。

  • 益田喜頓さんが演じる牛尾一平の役柄
  • 牛尾一平のモデル
  • 益田喜頓さんのプロフィール(名前・生年月日・星座・血液型・出身地)
  • 出演したドラマ・映画・舞台などの情報
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益田喜頓演じる牛尾一平の役柄は?

マー姉ちゃんのキャスト・益田喜頓演じる牛尾一平は、磯野家の福岡時代の隣人です。

息子の一平夫婦と同居しています。

磯野家で夕食を食べていると、突然やってきて、マリ子が展覧会場に出品した「裸婦」が問題になっていて、筑前高女の校長先生が警察に連れていかれたと伝えに来ます。

牛尾一平のモデルは?

朝ドラ「マー姉ちゃん」のキャスト・益田喜頓さん演じる牛尾一平のモデルは、今のところ見当たりません。

朝ドラ「マー姉ちゃん」のオリジナルキャラクターの可能性が高いです。

益田喜頓さんのプロフィール

こちらでは、マー姉ちゃんのキャスト・益田喜頓さんのプロフィールを紹介します。

名前益田喜頓(ますだきいとん)血液型
生年月日1909年9月11日身長
星座おとめ座出身地北海道函館市

牛尾一平役を演じる益田喜頓さんは、1909年9月11日生まれ(1993年12月1日没の故人)の北海道出身で、かつて吉本興業や、東宝演劇部に所属した経歴を持つ昭和を代表する喜劇俳優の1人です。

先祖は会津藩の武家ということもあり、生まれは裕福な環境であったとされています。

家業は土木請負業を経営しており、何万坪ある別荘も保有していたとされています。

しかし、7歳の時に、経営の中心であった祖父が亡くなると、父親に代替わりした後、事業が上手くいかなくなっていったとされています。

その後、父親は、「アメリカで一旗上げる」と言い残し、蒸発してしまいます。

このため、母親と兄弟たちとともに、一転して貧しい暮らしが続いていったとされています。

喜劇に出会ったのは、この苦しい日が続いていた時であったとされており、喜劇映画を観ては、バスター・キートンの真似をして、母親や友達を笑わせていました。

これが、喜劇俳優としての土台となったと言われています。

その後、1923年に函館商業高校に入学すると、チェーホフなどを愛読し、小説家になろうと、原稿用紙に向かう日々もあったそうです。

同時に、この頃に野球部に入っており、社会人野球の名門「函館オーシャン倶楽部」の三塁手で大活躍しました。

この野球で鍛えた「あくまでチームプレー」という精神は、後に芝居でも、そして人生においても非常にプラスになったとインタビューでコメントを残しています。

21歳まで野球に没頭した後は、プロから誘いがあるほどの実力の高さを有していたものの、唯一の欠点とされた、足の遅さに限界を感じており、徐々に野球の道を断念し、当初から興味のあった演劇の活動に注力していきました。

1930年には、小樽の貿易会社に入社し、同企業所有する劇団の活動を手伝うようになりました。

しかし、その劇団が1年足らずで解散してしまったため、会社も退職してしまいます。

その後、かねてから興味のあった、喜劇の世界に本格的に挑戦するために、北海道から上京し、東京浅草に移り住みました。

この頃に、吉本興業に入社し、花月劇場でショーに出演するようになったとされています。

ショーに出演し、下積みの経験を積んだ後の1936年、27歳の時に、中学の同級生であった坊屋三郎らとともに、音楽コントグループ「あきれたぼういず」を結成します。

このバンド活動では、クラシックからジャズ、流行歌まで、あらゆるジャンルの音楽をベースに、ナンセンスギャグ、パロディをちりばめた替え歌を全国で披露し、一躍人気バンドとなっていき、一世を風靡しました。

同グループの中心人物で活躍する中、1938年には、花月劇場のプリマドンナで、ジャズシンガーのツヤ子さんと結婚しています。

1939年にあきれたぼういずを脱退すると、1942年に大映「歌う狸御殿」で、ヒロインに恋する池の河童役でバスター・キートンを思わせる演技で好評を得ます。

翌年の1943年には、益田喜頓一座を結成しますが、大阪で空襲に遭ってしまい、函館に戻ってしまったとされています。

この不可抗力的な不運にあっても、函館で妹の夫が経営する製材工場の工場長として、働いている中で、終戦を迎えたとされています。

戦後の1946年には、「あきれたぼういず」を再結成し、浅草で話題になります。

しかし、当時のメンバーの内、独立や戦死により、3人しか集まらず、徐々に活動の限界を感じていったとされています。

このため、1957年に東宝演劇部に所属し、ミュージカルに活動の場を移していったとされています。1961年には、日本で最初のミュージカルとなった舞台「マイ・フェア・レディ」に、ピカリング大佐役で出演します。

この出演で、毎日芸術賞、演技賞を受賞し、ミュージカルの出演で、新たな俳優としての活路を見出します。

この後、「王様と私」、「屋根の上のヴァイオリン弾き」と、立て続けにブロードウェイミュージカルに出演していきました。

中でも、「屋根の上のヴァイオリン弾き」の司祭役は、1967年9月3日の初演以来、17年間もの長期間、出演を重ねており、907回もの公演数をこなしています。

他にも映画では、1964年「君も出世できる」、1973年「チョットだけヨ!全員集合」、ドラマでは、1966年「ザ・ガードマン」、1973年「赤ひげ」、1976年「太陽に吠えろ」、1979年のNHK連続テレビ小説「マー姉ちゃん」、1986年「妻そして女シリーズ」など、映画、ドラマにも幅広く出演歴を誇る喜劇俳優です。

80歳近くになった1988年には、最後は故郷で人生を歩むために、函館に帰郷しています、帰郷後は、野外劇のナレーションや、函館ミュージカル劇場で用いる原案を作成するなど、地元の演劇文化発展に寄与した活動に精力的に取り組んだとされています。

1993年に五稜郭病院で、大腸癌のために84歳で亡くなっています。

亡くなるまでに、2度に渡る菊田一夫賞の受賞をはじめ、紫綬褒章など、数々の賞に輝いており、その功績を称えて、活動の中心地であった浅草には、浅草寺境内の「喜劇人の碑」にその名が刻まれています。

幼少期の頃の喜劇で多くの人に笑いを与えて周囲を笑顔にすることが好きだったことを、そのまま仕事にしたような人物であり、その功績や格言には、学ぶところが非常に多い人物の1人となっています。

また、浅草六区芸能伝によると、日々の益田喜頓の姿がまとめられています。同ウェブの情報によると、益田喜頓は、毎朝、喫茶店「ボンソアール」の1階で、365日、毎日必ずそこで、コーヒーとトーストをゆっくりと食していたそうです。戦前や戦中の悲惨な時間を過ごした彼にとっては、この優雅な朝の時間が、もしかしたら一番穏やかに過ごせた時間であったのかもしれません。

当時の年齢と現在の年齢は?

朝ドラ「マー姉ちゃん」が放送された1979年当時の益田喜頓さんの年齢は、69才です。

あれから42年経っていますので、益田喜頓さんがご健在であれば、111才(2021年現在)でした。

これまでの出演ドラマ・映画情報

こちらは、マー姉ちゃんのキャスト・益田喜頓さんが、これまで出演したドラマや映画の情報です。

作品名役名概要
ドラマ
朝ドラ「マー姉ちゃん」牛尾一平
高原へいらっしゃい高間コック
太陽にほえろ! 第214話「奇妙な友達」市村雄三
あんみつ姫
男嫌い
ザ・ガードマン
松本清張シリーズ 「俺は知らない」
意地悪ばあさん 第16話「サービス教えますの巻」
進め!青春 第10話「ハプニング合宿」
赤ひげ 第35話「生きがい」
新・なにわの源蔵事件帳 第13話「夏を欺く男」
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大沼だんご
ファーストキッチン
アコム 共演大場久美子
北海道拓殖銀行
シャープ「メロディーサーチャーW」
味の素
山之内製薬 「ハーブキャンディー」
サンヨー食品 「サッポロ一番カップスター」

朝ドラ「マー姉ちゃん」のキャスト一覧

こちらは、朝ドラ「マー姉ちゃん」のキャスト一覧です。

朝ドラ「マー姉ちゃん」のキャスト(出演者)一覧
役名出演者モデル関係・役柄
磯野家
磯野マリ子熊谷真実長谷川毬子磯野家の長女
磯野マチ子田中裕子長谷川町子磯野家の次女
磯野ヨウ子早川里美
(少女時代:平塚麿紀)
長谷川洋子磯野家の三女
磯野はる藤田弓子長谷川サタ磯野家三姉妹の実母
福岡で出会う人々
田畑千代
(大和田千代)
二木てるみ磯野家のお手伝いさん
戸田トミ子村田みゆきマリ子の親友
牛尾一平益田喜頓磯野家の福岡時代の隣人
牛尾軍平三国一朗一平の息子
校長先生高松英郎女学校時代の校長先生
村田園田裕久世話人
大和田高男大門正明千代のお見合い相手
天海朝男前田吟魚屋の息子
石井小沢弘治マリ子の絵の師匠
東京で出会う人々
東郷新八郎田中健東学かけ出しの記者
新八郎の父戸浦六宏新八郎の父
東郷貴美三木弘子新八郎の母
田河水泡愛川欽也高見澤仲太郎漫画家
田河順子三田和代高見沢潤子水泡の妻
大宗均渡辺篤史水泡の弟子
菊池寛フランキー堺菊池寛大作家
三郷智正山口崇写真館のおじさん
智正の母三崎千恵子智正の母
酒田大造河原崎長一郎磯野家の隣人
酒田ウメ鈴木光枝酒田大造の母
塚田日下武史陽談社の編集者
喜多川茜島本須美画塾の先輩
植辰江戸屋猫八植木屋さん
植辰の息子江戸屋小猫植辰の息子
岩村透一郎小泉博はるの実兄
岩村花江岩本多代透一郎の妻
結城信彦森田順平マリ子の画塾時代の友人
益田雄作大塚国夫小説家
成田三吉福田勝洋出征していた青年
島村正史湯沢紀保鹿島隆新聞記者

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