【エール実話】三郎が亡くなった時期は実話と一緒か?エールの時系列と徹底比較!

エールでは、裕一が生まれた華を会わせたい帰省しましたが、三郎ががんに冒され、亡くなってしまいました。

生まれた娘に会わせた時に、三郎が亡くなったのは、実話でしょうか?

結論からいうと、古山裕一のモデルである古関裕而さんの父・古関三郎次さんが亡くなったのは、裕而さんの長女が6歳のときなので、実話ではありません。

しかも、古関三郎次さんが亡くなった時期も、エールと実話では大分違います。

こちらでは実話を詳しく解説していますが、エールと実話の結果だけ知りたい方は、「まとめ▼」をご覧下さい。

エールと実話の比較まとめ≫

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エール第11週『家族のうた』のあらすじ

こちらは、エール第11週『家族のうた』のあらすじの一部です。

ネタバレを含みますので、まだ視聴していない方はご注意ください。

藤堂先生からの依頼で、福島の小学校の校歌を作曲した裕一は、校歌完成披露会の招待をうけ、家族で福島に帰ります。

実家の呉服屋『喜多一』に帰ると、店の中は空っぽで、半年前に店を閉めた後でした。

三郎とまさは歓迎してくれましたが、弟の浩二だけは相変わらず冷たい態度をとります。

そんな中、三郎が胃がんでもう長くないことを知り、実家に少し滞在することになった裕一と音。

兄弟のわだかまりが解けない中、三郎が裕一にあることを承諾してほしいとお願いします。

そして最後の時、浩二と二人だけで話がしたいといい、喪主はお前だ!家も土地も全部お前が引き継げ!裕一にも承諾を取ってあると話しました。

三郎は、家族に見守られながら、静かに息を引き取りました。

こうして三郎がなくなり、最後に兄弟わだかまりが解けて、東京に帰ります。

 

エールと実話の比較

【エール実話】三郎が亡くなった時期は実話と一緒かを比較したまとめ

さて、裕一が生まれた華を会わせたい帰省しましたが、三郎ががんに冒され、亡くなってしまいましたが、古関裕而さんの実話では、実際どうだったのか比較していきます。

比較に参考にしたのは、こちらの書籍です。

古関雅子さんが生まれたのはいつ?

まず、実話の時系列を整理します。

古山華のモデルは、古関裕而さんの長女・古関雅子さんだと考えられます。

古関裕而さんには、長女の雅子さん、次女の紀子さん、長男の正裕さんの3人のお子さんがいます。

エールでは、古山華が最初の子供として誕生していますので、普通に考えるとモデルは長女・古関雅子さんになります。

雅子さんは、1932年(昭和7年) 1月に生まれていますが、何日生まれかまでは分かっていません。

古関三郎次さんが亡くなったのはいつ?

古山三郎のモデルは、古関裕而さんの父・古関三郎次さんです。

古関三郎次さんが亡くなったのは、1938年(昭和13年)6月5日で、古関裕而さんが、28歳のときに父親を亡くしています。

つまり、雅子さんが6歳のときに祖父を亡くしたことになります。

エールでは、生まれて4ヶ月でしたので、三郎が亡くなったのは、華が4ヶ月か5ヶ月ということになります。

この時点で、エールと実話では、時間にずれがあります。

古山華が生まれたのはいつ?

エールでは、いつの時代なのか分かるように、たまにテロップが流れていましたが、東京編になるとまったくでてきません。

そこで、映像から年代を探ると、古山華が生まれたのは、1932年(昭和7年)9月と分かりました。

分かった理由は、こちらです。

  • コロンブスレコードの壁にかけてあるカレンダーが1932年
  • 帝音新聞の日付が3月7日(月曜日)
  • 「娘の華が生まれて、はや4ヶ月が経ちました。」のナレーション
  • 「昭和八(一九三三)年一月、華が生まれて四ヶ月がたった。」と書かれている本

ヴィオレッタ役に音が選ばれたことを伝える帝音新聞の日付は年は隠されていましたが、日付が3月7日(月曜日)となっていました。

1932年3月7日の曜日を調べると、見事月曜日で一致したんで、まず間違いありません。

このころからつわりの症状が見られますので、生まれるのは1932年か1933年になります。

エール51話のナレーションでは、「娘の華が生まれて、はや4ヶ月が経ちました。」と説明があり、小説では「昭和八(一九三三)年一月、華が生まれて四ヶ月がたった。」と書かれていて、内容が一致します。

よって、古山華が生まれたのは、1932年(昭和7年)9月と分かりました。

古山三郎が亡くなったのはいつ?

古山三郎が亡くなったのは、早い時期で1933年(昭和8年)の1月か2月です。

裕一が福島に帰省したのは、藤堂から手紙をもらったことがきっかけでした。

手紙をもらってからすぐ作曲して、楽譜を送っていますので、藤堂からの招待の知らせも早かったのではないかと考えられます。

福島に帰省から古山三郎がなくなるまでの日も、医者が覚悟しておいてくださいといっていたので、1ヶ月も滞在はしていかなったと思います。

よって、最短で話が進んでいたのであれば、1933年(昭和8年)の1月か2月、遅くても1933年中には亡くなっていたと推測できます。

古山三郎と古関三郎次さんが亡くなった時間のずれは?

古山三郎が亡くなった時期を1933年(昭和8年)2月とするなら、古関三郎次さんが亡くなった1938年(昭和13年)6月5日との時間のずれは、5年4ヶ月になります。

かなり早く三郎をご臨終させましたね、、、

三郎次さんは、大分孫と過ごせる時間がありましたが、三郎にももう少し孫との時間を作って欲しかったですね!

エールの生まれた娘に会わせた時に三郎が亡くなった話と実話の比較まとめ

ここまで、エールの内容と実話を比較して説明しました。

まさか三郎があんなに早くご臨終させていたとはビックリですね。

今回のエールと実話の比較をまとめると、以下の通りです。

  • 古関雅子さんが生まれた日は、1932年(昭和7年) 1月
  • 古関三郎次さんが亡くなった日は、1938年(昭和13年)6月5日
  • 古山華が生まれた日は、1932年(昭和7年)9月
  • 古山三郎が亡くなった日は、早くて1933年(昭和8年)の1月か2月、遅くても1933年中
  • 三郎と三郎次さんが亡くなった時間のずれは、5年4ヶ月

エールと実話比較まとめ記事

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