【エール実話】浩二が喜多一を継いだのは本当!?デマ拡散で既成事実化!?

エールでは、三郎が長男の裕一ではなく、次男の浩二に呉服屋『喜多一』を継がせると話をしました。

次男の浩二に喜多一を継がせる話は、実話でしょうか?

結論からいうと、古山裕一のモデルである古関裕而さんの実家である呉服屋『喜多三』は誰も継いでいませんので、エールの話は実話ではありません。

ただ、喜多三を次男が継いだという話が、実話として多くのサイトに掲載されています。

こちらでは実話を詳しく解説していますが、エールと実話の結果だけ知りたい方は、「まとめ▼」をご覧下さい。

エールと実話の比較まとめ≫

エール第3週『いばらの道』のあらすじ

こちらは、エール第3週『いばらの道』のあらすじの一部です。

ネタバレを含みますので、まだ視聴していない方はご注意ください。

朝ごはんを食べていると、三郎が子供たちに、何時に帰ってくるのか聞いてきました。

浩二は普段どおりとこたえ、裕一は「僕遅くなる。今日決選投票なんだ。」と答えます。

裕一は、今日がハーモニカ倶楽部の公演でオリジナル曲を選ぶ投票日だと説明し、もし自分の曲が選ばれたら見に来てと誘いました。

それを聞いた三郎はもちろんみんなで見に行くと約束し、改めてまさが二人に、「2人とも今日帰ったら、お父さんから話があるから。」と話をしました。

ついに、定期演奏会の曲目投票がはじまります。

開票は進み、すべて開票され、10対9で裕一は負けてしまうのですが、卒業した先輩たちの票を預ってると館林会長が話し、先輩たちの票を含めると逆転で、裕一の曲が選ばれます。

喜んでうちに帰ると、家族が居間にそろって何か話をしていました。

どうしたの?と聞くと、三郎が「この店は浩二に継がせる。」と話します。

浩二に、いいのか?と聞くと、浩二も「俺は継ぎたかった。」と答え、感謝しました。

こうして、呉服屋『喜多一』は、次男の浩二が継ぐことになったのです。

子どもたちに話をした三郎は、茂兵衛に電話をかけ、改めて養子の話を断るのでした。

まさに電話を代わってくれという茂兵衛。

電話を代わったまさの後姿は悲しみがあふれ、すすり泣きをしていました。

エールと実話の比較

【エール実話】浩二が喜多一を継ぐ話は実話なのかまとめ

さて、三郎が浩二に継がせると話をしましたが、古関裕而さんの実話では、実際どうだったのか比較していきます。

実話の出所は、以下の書籍です。

喜多一を浩二が継ぐ話は実話?

エールでは、三郎が長男の裕一ではなく、次男の浩二に呉服屋『喜多一(きたいち)』を継がせることになっていましたが、これは実話ではありません。

喜多一のモデルは、古関裕而さんの実家である『喜多三(きたさん)』ですが、喜多三は倒産しています。

倒産する前に、すでに浩二が継いでいた可能性もありますが、倒産した時期を考えれば可能性としては低いです。

喜多三が倒産したのはいつ?

喜多三が倒産した時期は、古関裕而さんが商業高校に入学した1922年(大正11年)です!

古関裕而さんには、弟の古関弘之さんがいますが、生年月日は分かっていません。

エールでは、裕一の2歳下という設定なので、これを当てはめれば、喜多三が倒産したのは、古関弘之さんが11歳のときです。

まだ学生なので、11歳で家業を継ぐというのは考えられません。

喜多三が倒産した話については、「【エール実話】喜多一がついに倒産!実は音に出会う前から倒産していた!?」で詳しくまとめています。

古関弘之さんがお店を継いだ可能性は?

古関裕而さんの父・古関三郎次は、喜多三を店をたたんだあと、京染めの仲次を開業しています。

次に考えられるのは、この京染めの仲次をやっていたお店を継いだという話です。

しかし、古関裕而さんについて詳しく書かれている『評伝古関裕而』の中で、以下のように紹介されています。

古関の父は京染めの仲次の仕事もほどなくして廃業し、隠居生活をするようになった。

京染めの仲次を開業したのは事実ですが、ほどなくして廃業しています。

この「ほどなく」がどれぐらいの期間にあたるのか調べると、明確な期間は分かりませんでしたが、「時間がそれほど経過していないさま」とあるので、古関弘之さんが学生のときに廃業した可能性が高いです。

よって、京染めを仲次していたお店を継ぐ可能性も低いと考えます。

古関弘之さんの職業は?

喜多三も仲次のお店も廃業しているので、古関弘之さんが継いだという可能性が低いですが、そもそも古関弘之さんは何の職業についているのでしょうか?

古関弘之さんの職業は、デザイナーです。

デザイナーという情報は、古関裕而さんの息子・古関正裕さんが、ブログで情報を発信しています。

こちらは、その記事の一部抜粋です。

浩二は喜多一を継いで、盛り立てようとしていますが、実際の喜多三は昭和初期に倒産しています。弘之はデザインの勉強をして、デザイナーになりました。

最初からデザイナーをしていたのかは定かではありませんが、お店を継いだ可能性は低いでしょう。

古関弘之さんが喜多三を継いだ話が拡散中

ネットで検索すると、古関弘之さんが喜多三を継いで、再建したという記事が多く存在します。

おそらく、最初に公開された記事をリライトしてそれが拡散されたと思われますが、紹介の概要は以下のような話です。

  1. 三郎次の次男として生まれる
  2. 長男は家業に興味を示さず、次男の弘之が喜多三を継ぐ
  3. 三郎次が友人の借金の保証人になるも逃げられてしまい、多額の借金を背負うことに
  4. 弘之ががんばって呉服屋を再建した

三郎次が借金の保証人になった話は、どの書籍を読んでも書かれていませんでした。

詳しく書かれている『評伝古関裕而』の中でも、以下のように紹介されているので、不明だと考えられます。

なぜ、父が店をたたむことになったのかは、古関は自伝にもはっきりとのべていないが、大戦景気の最中に事業の拡大を狙った投機に失敗したのかもしれない。

あと名前の読み方も、「弘之(ひろゆき)」と紹介されることが多かったですが、正裕さんのブログでは、「弘之(ひろし)」と明記されていますので、正しくは「古関弘之(こせきひろし)」です。

エールの浩二が喜多一を継ぐ話と実話の比較まとめ

ここまで、エールの内容と実話を比較して説明しました。

主人公の家族の情報ってなかなかないですよね。

今回のエールと実話の比較をまとめると、以下の通りです。

  • 喜多一を浩二が継ぐ話は、創作ストーリーの可能性が高い
  • 喜多一のモデル喜多三が倒産した時期は、弘之さんが学生のとき(11歳?)
  • 弘之さんがお店を継いだ可能性は、極めて低い
  • 弘之さんの職業は、デザイナー

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