【エール実話】三郎が胃がんで余命わずか!?実は帰省前に亡くなっていた!?

エールでは、三郎が胃がんに冒されて、もう長くないと宣告されていました。

三郎が胃がんに冒された話は、実話でしょうか?

結論からいうと、古山裕一のモデルである古関裕而さんの父・古関三郎次さんがどのように亡くなったのか真相不明です。

ただし、近いうちに古関三郎次さんがどのように亡くなったのか分かる可能性が高いです。

こちらでは実話を詳しく解説していますが、エールと実話の結果だけ知りたい方は、「まとめ▼」をご覧下さい。

エールと実話の比較まとめ≫

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エール第11週『家族のうた』のあらすじ

こちらは、エール第11週『家族のうた』のあらすじの一部です。

ネタバレを含みますので、まだ視聴していない方はご注意ください。

藤堂先生からの依頼で、福島の小学校の校歌を作曲した裕一は、校歌完成披露会の招待をうけ、家族で福島に帰ります。

校歌完成披露会が終わると、実家の喜多一に向かったのですが、緊張のあまり中になかなか入れません。

音から入るよう促され騒いでいると、店の扉が突然開きました。

赤ちゃんの鳴き声がしてもしやと思って母のまさがでてきたのです。

家の中に入ると、店の中は空っぽで、実家の呉服屋『喜多一』は半年前に店を閉めたことを知ります。

裕一の凱旋祝いで、昔の仲間たちを呼び宴会を開きますが、台所で三郎が苦しがっている姿を音が見てしまいます。

まさに三郎のことを聞くとただの胃潰瘍と話しますが、裕一が浩二ともめたときに三郎が胃がんであることを告白されました。

エールと実話の比較

【エール実話】三郎が胃がんで余命わずかの話は実話かのまとめ

さて、三郎が胃がんに冒されて、もう長くないと宣告されていましたが、古関裕而さんの実話では、実際どうだったのか比較していきます。

実話の出所は、以下の書籍と部ログです。

古関裕而さんの息子・古関正裕さんのブログ

三郎が胃がんだったのは実話?

エールでは、三郎が胃がんに冒されていましが、これは真相不明です。

古山三郎のモデルは、古関裕而さんの父・古関三郎次さんですが、三郎次さんについての情報はほとんどありません。

実家の喜多三もどのように倒産したのか、古関裕而さんの自伝にははっきり書かれていないので、父親に関する情報はないに等しいです。

喜多三が倒産した話については、「【エール実話】喜多一がついに倒産!実は音に出会う前から倒産していた!?」で詳しくまとめています。

古関三郎次さんはいつ亡くなった?

古関三郎次さんが亡くなったのは、1938年(昭和13年)の6月5日です。

古関裕而さんが、28歳のときに父親を亡くしています。

実は、双浦環のモデルある三浦環が『船頭可愛いや』のレコードを発売したのは、翌年の1939年(昭和14年)です。

エールでは、双浦環が『船頭可愛いや』を歌って大ヒットしました。

そして、その後に藤堂から校歌の作曲依頼を受けて、故郷の福島に帰ります。

つまり、エールのストーリーに照らし合わせると、三郎は、すでに亡くなっているんですよね。

このあたりの時系列は結構ずれがあるので、史実と照らし合わせるとおもしろいです。

古関三郎次さんが亡くなった経緯はもう分からない?

古関三郎次さんが亡くなった日は分かりましたが、どのように亡くなったのは不明のままです。

もう、古関三郎次さんが亡くなった経緯は分からないのでしょうか?

いえ、可能性があります!

それは、古関裕而さんの息子・古関正裕さんです。

古関正裕さんは、ブログでエールの話と実話について、記事を随時更新しています。

エール第11週は祖父の死についてのストーリーなので、亡くなった経緯をまとめてくれる可能性が高いです。

真相が分かれば、こちらも更新しますので、乞うご期待!

エールの三郎が胃がんになった話と実話の比較まとめ

ここまで、エールの内容と実話を比較して説明しました。

古関三郎次さんの亡くなった日は分かりましたが、死因まではいまのところ不明でしたね。

今回のエールと実話の比較をまとめると、以下の通りです。

  • 三郎は胃がんだったのかは、真相不明
  • 三郎のモデル古関三郎次さんが亡くなった日は、1938年(昭和13年)6月5日
  • エールの時系列との比較は、双浦環が『船頭可愛いや』を歌った後ではなく、その前に亡くなっている
  • 三郎次さんの死因を調べる方法は、裕而さんの息子・正裕さんのブログで判明する可能性大

エールと実話比較まとめ記事

知っている実話ありますか?

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